小中学校の教育現場における「総合的な学習の時間」について、学力の低下が問題になっている昨今、こうした現状にもかかわらず、生きる力を育むという理由で「総合的な学習」が行われていますが、「総合的な学習」を行うことで本当に「生きる力」を育むことができるのでしょうか、その根拠は何か。欧州のある国では「総合的な学習」での失敗を反省し、廃止している事例があると聞きますが。
日本では「ゆとり教育」の失敗が学力低下を引き起こしているという議論がありますが、「総合的な学習」も、学力低下につながっていませんか。
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「総合学習」をきちんと行うためには、地域の人材活用や、各種施設などが恵まれた地域でないと、難しいです。研修で見た先進校では、助産婦さん、囲碁将棋の先生、書道やお茶の先生などが、学習に加わって、それらを体験し、まとめ、今後の生活に生かすための工夫を子供たちが考えていました。 あそこまでの発表をするためには、かなり普通授業を削っていると想像できますし、お金もかかっています。 指定校でもあれば、できる事かもしれませんが、無理です。また、子供たちが実際に、様々な体験をするためにグループごとに学校を出ていくためには、安全面も確保がされていなくてはなりませんから。田舎はバス少ないし。
人材活用が無理な普通の学校では、図書やインターネットなどが中心になってくると思いますが、図書は、無論財政難で不足してますしデータは古い。ネットでも、子供が理解できるようなHPなんて少ないです。漢字読めませんから。。。。
また、総合学習は、調べ学習ではありません。 調べて発表して終わり、というパターンは、前出したとおり、人材などの環境が恵まれていないから・・・と考えると、総合学習をきちんと行うためには、かなり難しいですよね。
荒れた学校などは、クラスをばらばらにして、各自調べ学習!にした瞬間に逃亡し、数人生徒いなくなります。 遊びの時間だと思ってますから。そうでなくても、普通授業だって消えちゃって、地元のお店から通報入ります。 総合学習なんてできませ~ん。
1番いいのは教科の授業数を増やし、総合や選択授業をなくし、通常の授業の中でより深い調べ学習や実験、観察、発表などを行っていくことなのに・・・なぜ文科省は、現場を知らないで、ころころ方針を変えて混乱させてるのか、わけわかりません。事件は会議室で起きてるんじゃないよね。
∴付属校などのレベルが高いとされている学校では、総合学習は大変意義のあることだと思うが、
荒れた学校や学力の高くない子達にとっては、ますます学力低下を推進する時間である。
♪次の方へ♪ おっしゃっている「こんなことを学んでいます」・・・という内容ですが、自分の地域 では(もしかしたら県も!)書かれている内容の2割程度しか、出来ていません。。
伝統楽器教える人いないし、施設のボランティアとか無理、校外に出かけられないし・・・・。
それに比べて、すごく充実した内容ですね。 総合好きの私としては、羨ましいです。
国際理解の学習で外国の料理作ったり、調べて発表したり、国際協力に行った人を読んで講話を 聴いたりした程度です。それが精一杯。他の学年はたいてい調べ学習と 発表でおわり。。。情け ないです・・・
やはり、取り組み方に学年の考え方の差がありますので、無くした方がいいんじゃない?ってなります。中3は、やはり受験一色ですしね (^^)
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今の子どもたちは「ゆとり教育」の犠牲者だ、みたいな事を言われてますが、「総合」の学習を積んできた今の子どもたちこそ、日本の未来を変える輝く世代だと私は信じています。
私は小・中学生で詰め込み教育をされた世代ですが、自分の学力は今の子どもたちに勝っているとは思いません。
なぜなら、今の子どもたちは、「総合」の時間を利用して、次のようなことを学んでいるからです。
・自分の住む町の誇れる歴史や文化、産業。
・日本文化の伝承(和楽器の演奏など)。
・ボランティア活動に励む人たちの様子、また実際のボランティア活動。
・職場体験。また、それに関わる礼儀(挨拶、電話のかけ方、アポの取り方)指導。
・文書の作成や研究の進め方。プレゼンテーションの仕方。
・国際的な情報の収集や問題点の把握。日本の貢献状況や国際社会での課題。
・お年寄りやハンデのある人たちへの支援。関わり方の学習や実際の補助訓練。施設での体験。
つまり、今の子どもたちは、本当に必要な“一人前の社会人”としての知識や体験を学んでいるのです。会社にとっても、日本という国家にとっても、即戦力です。
残念ながら、私はどれも学校で習った覚えはありません。ボランティアなどには二の足を踏む世代です。でも、今の子どもたちは、構えることなく、ごく自然にボランティアができるのです。
例えば、「総合」を学んでいない先輩が、「総合」を学んできた後輩に対して“台形の面積の公式”を知らないことをバカにするかもしれません。
でも、後輩は取引先の相手とのアポのとり方、電話での正しい応対、接待で話題にする日本の課題等の知識を持っているのです。
どちらが役に立つかは明らかです。
実社会で役に立たない詰め込み教育をされてきた我々が正しい日本を作ってこれなかったのは、すでに歴史が証明しています。
「ゆとり教育」で“生きる力”を身につけた次の世代に、私は最後の期待をかけています。
少なくとも、この子たちの足を引っ張るような言動をする資格は、我々の世代にはありません。
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私は高尚な知識は持ち合わせていませんので、立派なことは言えませんが、そう学力低下を嘆くことはないのではないでしょうか?人口が減少に転じ、車も数年先には減少に転じるそうです。従ってあと僅か半世紀もすれば今のように通勤ラッシュ・渋滞にもみまわれることもなく、職業にしたって「選択の自由」ではありませんが、労働力不足で受験地獄もなく自分のしたいことをできる時代がやってくるかも知れません。だからと言って日本人全員の学力が低下するのは問題です。学力を伸ばしたいものは伸ばしてその学力を必要とする職に就き、また体力に自信がある者は体力を必要とする職に就き、或いはこったことが好きな人はいわゆる職人技を必要とする仕事に就くという、そういう社会を作ることの方が大切なのではないでしょうか?そう学力の必要がない職業を目指す人に、社会人としての必要以上の学力をを身につけても意味がないと思います。それよりも今多発する凶悪犯罪・社会道徳の欠如そういったものを排除する心・人として最低限必要とされる心・真心・優しさ・思いやりなどそういったものを身に付けさせる教育の方が先だと思うのですが、、、?
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