2012年3月27日火曜日

人の賢さの基準は分かりませんね。いえ、基準はきっと無いと思いますが、馬鹿と利...

人の賢さの基準は分かりませんね。いえ、基準はきっと無いと思いますが、馬鹿と利口は紙一重とも言われています。

人の賢さの基準なんて分からない。

 学校へ通っている間は、大よそは、勉強の出来る子が、頭良い(賢い)などと言われるものである。しかし、大人になってよくよく考えてみれば、「やっぱりあの人は賢いとはとてもじゃないけど言えないなあ。」とか「あの人は、どうも本当は賢かったのだなあ。」とか考えて言ってみたりする。そう。誰が賢くなるのかと言う正しい答えは、誰にも出せるものではないのだろう。

そこで「勉強は出来るが本は読まない。」「勉強は全く出来ないが色々な本を読むのは好きなので、学校の勉強以外の学問には詳しい」「頭は良く働くが行動、言動が可笑しいと『アホだろ、お前』など言われがちになる」など、色々と複雑なのである。

「将棋は得意だが、読書はしない」「読書は好きだが、将棋などはあまり出来ない」となれば、どちらが頭良いのか、となるだろう。でも読書が好きだから、将棋が出来るから、頭が良いとか言うわけでは無くて、まあ、これは趣味の話として留めておくまでにして良いだろう。

もう一つ、「頭は良かったが、それを悪用して捕まった、または利用された。そしてその後の人生は滅茶苦茶だ。」など、このように来れば、これはまた更に複雑になるであろう。どちらが賢いのか分からないまま終わる。それは嫌だといっても致し方が無いのだ。

 あと「記憶力は天才的だが、思考力が弱い、頭の回転も鈍い。」とあれば、「覚えるばかりして考えない」のは、とてもそれは賢いとは言えないと思うかも知れない。

だが、それについては記憶力を司る脳内の細胞が、思考力の細胞を圧迫して邪魔をしているわけだと本で読んだ事がある。やたら記憶力が良すぎる人間はその分、知識を生かす思考能力には欠ける傾向があると言う事になる。応用する能力に欠けると、知的活動を行う上では大抵困る。でも、学校で行うペーパーテストや入学試験には、殆どは暗記ものである。それで学校が受からなければ話にならないのだが、将来的には必要とされるのが考える力に感じ取る力なのである。

 そこで最終的には考える者が「賢い」と言われるのだろう。学校で覚えた事がいつまでも社会で役立つと言うわけでもない。世の中とは皮肉なものだ。


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ごく当たり前の記述があるけど、それで何を質問したいの?



補足に対する答え

現実を見ればごちゃごちゃ考えるまでもない。

人間は生まれながらにして平等ではない。

だから、生まれた後になるべく不平等を減らすような社会的仕組みが(不完全ながらも)ある。

神によって云々ということについてならば、議論する気はない。

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