2012年3月18日日曜日

例えば、学校でイジメられている子供がいます。 学校が合わないということで、 転...

例えば、学校でイジメられている子供がいます。

学校が合わないということで、

転校させたとします。



それを逃げているという人がいます。


逃げクセがつくと批判されます。



会社をすぐやめてしまう若者がいます。

会社をやめる根性なしだ、どこへいっても続かないと批判されます。



離婚する女性がいます。

家庭が耐えられなくて、

環境をかえます。本人にとり、

それが一番の選択だと思うからです。

でも周りは面白ろおかしく考える人もいます。



自分が最良の選択だと思うのに、第三者からみると、滑稽にみえてしまう。



こう考えると、人の意見とは

なんなんでしょうか?



そして自分の考えが、正しいのか、正しくないのか?

それを判断する基準とはなんでしょうか?



悩んでいます。




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人の意見は、あくまで参考に過ぎませんね。



ですから他人に対して、

「囲碁のほうが将棋よりも優れている」

と言い続けることは、第三者から見れば滑稽極まりないということです。



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よかったなまじめに回答してくれる人がいてよぉ

釣り師がさぁ


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>悩んでいます



次の日には不要になった将棋の本でケツ拭くだのなんだのと呑気な事を書いてるところを見ると悩みも収まったようでよかったね。


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人の意見はあくまでも人の意見です。ああ、こういう考えの人もいるんだなぁでいいんじゃないですか?中にはふんふんと思える意見だってあるでしょう。

確かに見るからに何をやっても長続きせずにだめだなと思う人もいるし、実は合う仕事をすれば続いたという人もいるかもしれません。結果を見ないと正しかったかどうかわかりません。その時決めた自分の考えを正しいと信じて行動すればいいんじゃないでしょうか?わたしは人の意見を参考に自分の考えが正しいと信じて行動しています。


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自分の考えが正しいか正しくないのかを誰に判断してもらうべきなのでしょうか。

イジメにしても会社、離婚にしろ問題の所在はその人自身ではないのに

その人が組織から離れたら、その人が矢面に立たされてしまう。

おれは非常に不合理なことだなと私も思います。

まず人から何か言われたら、そのことについて反論してみてはどうでしょう?

反論できるなら、その人の意見はそれだけのもの反論できないのなら受け入れる。

結局判断するのは自分だと思います。

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